プロが教える!くらしのお役立ちメモ
セラピールームちるどれん 鈴木 明美
不登校、引きこもり家族セラピストの鈴木明美です。
不登校、引きこもりのご本人や家族の体験インタビューを情報の一つとしてお届けします。
ご本人の言葉の微妙な意味合いが変わらないように、ほとんど編集を入れず話し言葉のまま掲載します。
Q: いつまでそんな感じで頑張ってたの?
長袖ヶ浦くん(N): 高校で挫折しましたね。中学までは公立でした。勉強できる子もそうでない子もいろいろでした。高校は進学校へ行ったので、公立にいた何%かの優秀な子が集まってきていました。自分がその中で、上の下くらいだったんです。
「あれっ、おかしいぞ?俺の立ち位置はここじゃない!」
みたいなのがあって。でも、やってもそこから上がれない!
“自分って平凡な人間なんだ”
世間からみればそうじゃないんだろうけど、高校だけが世界の全てにみえてて、“その中で自分はトップじゃないんだ。”っていうのがありました。理想としていた自分と現実の自分のギャップっていうのが、自分の中でどうしても消化できなかったんです。
N:高校1年から2年にかけての時期でしたね。どんどん言い訳の方に走っちゃって・・・
まだ本気だしてない!本気出せば俺できるし!って。
でも段々、無気力を装っていたのが、本当に無気力になっていって、不登校にはならなかったけど、高校でこれからのこと、進路のことを考えたりはしなかった。
とりあえず高校に行って、みんなが受験だなんだかんだとやっているのを斜(はす)にみながら、そのままたんたんと学生生活を送って卒業しました。
そして、その後、家に1年くらい引きこもっていました。
N:高校を卒業した頃、瀬戸内の島に住んでいた祖父が体調を悪くして、家に来ていたんです。
祖父の世話をするっていうのを免罪符にして、自分の精神の均衡を保っていました。
家族との会話もなかった訳じゃないし、食事の時間も併せていました。
ただ、家の中で完結できるから外にはでない生活でした。
祖父にはすごくかわいがってもらいました。
祖父のことは好きだったから世話ができたし、言い方悪いけど、逃げ口上に使わせてもらいました(笑)。
1年たって、祖父が瀬戸内の島に帰りたいっていうことで、祖父は島に帰って僕は逃げ口上もなくなったので、どうにかしなきゃ、アルバイトでもしようかってなりました。
Q: 引きこもっている間、親はどんな感じだったの?
N: そのうち何かするだろうって思っていたんじゃないですかね。強く何かをしなさいって言う感じはなかったですね。
自分の中でも“まずい”っていうのがあったので、1年ぐらいして家の近くでアルバイトがあったので、そこで運よくアルバイトから社員登用で併せて4年間働きました。
「理想としていた自分と現実の自分のギャップっていうのが、自分の中でどうしても消化できない」
こんな気持ちを抱えたとしても十代の子どもたちは、親に伝えることはないのではないでしょうか?
わたしはそうでした。
上手く言葉にできないということも・・・
十代のわたしは尾崎豊の曲を聴くことで、この気持ちを消化していたのかもしれません。
☆今日の問いかけ
子ども時代のあなたは、どんな消化できない思いを持っていましたか?
次回は、『3.人間関係に疲れました』をお届けします。
【プロフィール】
2008年から「セラピールームちるどれん」を主宰。Team Oasis ~セラピーをもっと身近に~をコンセプトとした勉強会の代表を務め、カウンセラーの横のつながりづくり、情報交換、学びの場つくりをしている。現在は、不登校・引きこもりの家族の孤独に寄り添う支援に力を入れている。
保有資格:心理カウンセラー・ゲシュタルトセラピスト・和みのヨーガインストラクター・NLPシニアセラピスト・JTC アートセラピスト・交流分析士・レイキヒーラー
【関連ページ】