川崎アワード
神奈川と東京の境にある多摩川。川崎市とは縁の深~~い川です。今回はその多摩川沿い、工業地帯にたたずむ「河港水門」を表彰しに行ってきます!
まずやってきたのは川崎の入口「大師橋」。
多摩川沿いにはたくさんの橋があり、古くから産業道路として使われていたんですよね。
橋をめぐるのもいいなぁ、ぜひ今後やってみたいと思います。
それよりなにより、いい天気!
昼すぎのこの時間、犬の散歩やジョギングなどをしている人がちらほら。
こんな昼下がりに多摩川沿いを散歩できるなんて、しあわせだー。
せっかく天気がよいので、水門へ行く前にちょっと河川敷を散歩してみる。
なんだかすべてがほのぼのとして、いい感じ。
老後は多摩川沿いに住んで毎日の散歩コースにしたいです。
のんびりしていたら空模様があやしくなってきた。
早いとこ水門へ行かないと!
うう、寒い。
さっきまであんなに暖かかったのに。
川のほうから吹いてくる風が冷たくなってきた。
水門近くにやってきました。
多摩川には橋だけではなく、水門もいくつかありますが、そのほとんどは現在活躍中というものではなく「シンボル」という形として残っています。
じゃーん! これ↓がその「河港水門」。でかい!
こんなに立派な水門ですが、実は実際に「水門」として大活躍したことは…ないのです。
大正時代の終わりごろ、川崎市は水運も盛んな多摩川の堤防から内陸部に運河を開通させようという、大規模な運河・港湾計画をたてました。
この河港水門も、運河計画の一つとして計画され、当時としては相当額の54万円という費用をかけて造られました。
昭和のはじめの平均月収が、約50~60円くらいと言われているので、現在のサラリーマンの月収が約30万円くらいだと考えると、えーと…
約30億!?
しかし、水門ひとつの予算にこれだけかかるほどの壮大な運河計画は、第二次世界大戦の勃発により、完成することなく幻と消えてしまいました。
それから今まで、この河港水門は、大活躍することなく80年もの間ここで多摩川を見守っているのです。
では、水門の近くによってみます。
簡単な柵(といううか、鎖)はあるものの、すぐそばまで水がきていてちょっとこわい。子どもはここで遊ばせたらいけないな…
よく見ると、水門の下の部分は赤レンガでできており、時代を感じさせるものが。
できた当時はさぞかしハイカラなものだったんでしょうね。
この河港水門、立派だと思ったら実は国の有形文化財にも指定されているんです。
よく見てください、水門の上のところ!
当時盛んに栽培されていた、梨、桃、ぶどうがてんこもり!
ブロッコリーかと思ったけど、フルーツなんですよこれ。
あ! 船だ!
ゆっくりと水門に入っていく船。
やっぱり船とのツーショットが似合う。
しかし、離れて見ると、やっぱりブロッコリーに見える…
うずくまってる羊にも見えます。