立川はぶ
立川の老舗お寿司屋さん! 今だから言える立川の昔話って・・・?
【みっけたん】立川で働く人を、“
見っけたん”がリレー形式でインタビューする『立川はぶ』!!
第26回目のゲストは寿司勝の吉本 栄一さんです!
それでは吉本さん、よろしくお願いいたします。
前回インタビューした白浜さんとは、どういったつながりですか?
白浜さんとはお互いに近くでお店を営んでいるので、私のお店のお客様が白浜さんのところに行かれたり、白浜さんのお客様がうちに来てくれたりしています。白浜さんのご主人はプロゴルファーで、うちでやっているゴルフのコンペに来てくれたり、私たちが白浜さんのコンペに行ったりもありますよ。うちの常連さんはゴルフ好きな方が多いからゴルフのつながりは結構強いですね。
「寿司勝」さんは創業何年になるんですか?
お店は、有限会社化してからは65年です。その前に、最初は祖父がやっていたんだけど、戦後の闇市から始まったから会社化する前も含めると実質70年くらいかな。
元々お店は場外馬券所のところにあって、北口の商工会議所ができるときに祖父に声がかかってそちらに入って、それから35年くらいはそこでやっていました。北口の区画整理で今の場所に移ってからは25年ぐらいですかね。
吉本さんが子どもの頃の立川の様子って、どんな感じだったのでしょうか。
私の地元は高松町のシネマ通り辺りだったので、競輪場があったりヌード劇場があったりね。中学生の時にあのへんウロウロしてると、指のないパンチパーマのおじさんが劇場の前にいて「お前らなんだ、入りたいのか?」とか言われてドキドキしましたね。別のときは友達と二人で雨宿りしてたら女装してる人が来て、ふざけて声をかけてくれるんだけど、自分たちは中学生だから固まっちゃって。昔はそんな様子で、少し危ない町だったかもしれないね。今はそんな店とかもうないですけどね。場所柄、外国人向けの店も多くあって、戦後の感じが残ったままの地域でした。
吉本さんは小さい頃から「お寿司屋さんになるんだ!」と思っていたんですか?
あんまり思っていなかったですね。自宅が競輪場の隣なんで、それで選手になれとかいろいろ言われました。子どもの頃から向こうっ気が強かったんで、そういうのもいいんじゃないかと思ったんですよね。
でも、私が中学3年生のとき祖父が亡くなって、葬儀にはお店の常連さんや地域の人が祖父のためにいっぱい来てくれててね。おぼろげながら、寿司屋やったほうがいいのかなって思いました。それで高校卒業して、当時サーフィンをやってたから海がある千葉の方に行こうと思っていたんだけど、結局立川でアルバイトしながら海に行ったり、そんな中途半端なことをしていたんですよ。そうしたら親父に寿司屋を継ぐかと聞かれて、決心して継ぎました。
面と向かって「継げ」とは言われなかったけど、やっぱり長男だし男一人だから、祖父が亡くなったのをきっかけになんとなく継ぐ気持ちにはなっていました。逆に私は今子供が二人いて二人とも男なんですけど、継いでくれって言っても嫌だとか言われますね。せっかく今続いてるから、私があと10~20年ぐらい頑張れば80年、子供たちが10年ぐらい頑張れば創業100年じゃないですか。100年続く会社って1万件に3件と言われるくらい珍しいから、祖父から父、私、子どもと続いていってほしいですね。
もしお寿司屋さんを継いでいなかったら何をしていましたか?
私、実は動物とか生き物が好きで、そういう仕事もいいかなと思ったんですよ。小学生の時はずっと動物園や水族館で働くことに憧れてましたね。でもネズミがすっごい嫌いで。それでもう無理だなと思って諦めました(笑)。
最後に、次の方にバトンタッチをよろしくお願いします!
「あてまき 喜重朗」の稲垣将午さんをご紹介します。
5月に北口にお店をオープンしたばかりなんですよ。
ぜひ行って色々話を聞いてみて下さい。
取材を終えて・・・
まさに、生粋の寿司職人!といった出で立ちの吉本さん。と思いきや"サーフィン"や"動物好き"など意外?!な一面も教えていただきました♪
吉本さんが子どもの頃の立川のお話はなかなか衝撃的で、これは書いていいのかな?というエピソードも…! そんなお話を伺っていると、みっけたんもまだまだ立川のことを知らないな~と実感します。これからもたくさんの人にインタビューして、立川をもっと深く知っていきたい!と思いました☆
寿司勝の情報
住所:立川市錦町1-2-4 専連会館1階
電話:042-522-4874